小売業者 盛秀太郎作 こけし 在銘あり 津軽系 31.3センチ コレクター放出品

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サイズは全長31.3センチで最大直径は6.7センチです。[人物] 明治28年11月28日、青森県南津軽郡山形村温湯の養蚕業兼木地業盛元吉・よしの長男に生まれる。栄太郎、みさ、まる、秀三郎、みつ、みやは弟妹である。祖父與助の弟與七は毛利家を継ぎ、毛利茂太郎を生んだ。秀太郎は16歳頃から、父元吉について木地を学んだ。明治44年4月17歳で青森県南津軽郡立農学校入学、卒業は大正8年25歳の時である。大正8年南津軽郡常盤村の高木ハナと結婚。長男真一が生まれる。以後、木地業とこけし製作は戦前戦後を通して一貫して続けた。昭和3年の〈こけし這子の話〉でこけし作者として紹介された。図版掲載されたこけしは天江富弥が大正10年ころ入手したもので、盛秀太郎はその極初期から蒐集界に知られた作者であった。自分の型のほかに、昭和7、8年斎藤幸兵衛が事情があってこけしを作れないときに、幸兵衛型を代作したこともある。昭和31年8月から、長男真一の妻初江の弟黒瀬鉄則を弟子とし、また昭和31年11月からは佐藤善二を弟子とした。当初こけし製作は真一の息子に継がせようと考えていたようだが、その意志がないので奥瀬鉄則を後継者とした。昭和47年3月東京新宿の小田急百貨店で「盛秀太郎喜寿記念展」が開催された。このときには在京の蒐集家のコレクションの中から主だったものを集めて陳列し、その50年間のこけしの変遷を眺めることが出来た。かなり大掛かりな展示で、会場には青森県選出の参議院議員や黒石市長からの祝花が並んだ〈芸術新潮七月号〉。昭和52年7月から真一の三男美津雄が弟子となって木地を学んだ。昭和53年には勲六等瑞宝章を受章した。昭和61年7月27日自宅において誰も知らぬ間に眠るように亡くなったという、行年92歳。なお妻女スナも8月4日秀太郎の後を追うように亡くなった。こけし愛好家からは「盛秀(もりひで)」と呼ばれて親しまれた。極めて達筆であり、収集家からの注文にも毛筆を用いて墨蹟鮮やかに返信や送り状をしたためた。後継者は奥瀬鉄則、盛美津雄である。奥瀬鉄則は平成4年6月16日に亡くなっているが、鉄則の妻陽子も盛秀型のこけしを作った。Ω宅急便 80サイズ

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